ちょっと間が空きましたが、先日書いた記事「文化とculture」にいただいたご感想を元に「culture」を掘り下げる記事の第2弾です(第1弾はこちら)。
今回は、ゴー宣読者のグッビオのオオカミさんがXに投稿されたポストを引用します。
キャンセル・カルチャーの根に「歴史感覚からの遊離」があるとすれば、アメリカとヨーロッパ(さらに個々の国や地域別)の違いは想像以上に大きい可能性もあり、私もとても興味があります(こうしてみると「欧米」ってすごく雑なくくりですね(笑))。
「プロテスタント」の語で思ったのですが、キャンセル・カルチャーが成立する場面って、あらゆる立場で「反抗・抵抗」という要素が奇妙なほど薄いと感じています。
まず「被害者」は、巨額の訴訟費用まで覚悟の上で自分の被った被害を訴えるわけでもなく、下手すれば匿名性まで確保して、「被害者」の立場や、上手くすれば賠償金を手に入れようとします。なるべくダメージを負わず、お手軽な方法で。
ジャニーズ騒動の「当事者」の中心メンバーなんてそれが特に顕著ですよね。「ジャニーズという権力に反抗・抵抗」している要素なんて皆無で、情勢をみて「利用の仕方」を変えただけです。
そして、それ以上に奇妙なのが、キャンセル対象にされる方が不思議なほど「抵抗」しないこと。これもジャニーズの件で顕著で、ジュリー、東山、井ノ原などの首脳陣各氏は、本当は元々プレッシャーを感じてて事務所を畳みたかったんじゃないかと思うほどの全面降伏っぷりです(自分じゃなく「他人」のジャニーさんだからだとすれば、あまりに哀しい)。
松本人志は訴訟を起こした分だけ抵抗しているとも言えますが、そもそも法に基づかない無茶な人民裁判的制裁なんて、本人も事務所もガンガン徹底して反論しても良いはずです。
現代はSNSのポストに収まる程度の小規模な自己主張が無数に漂い、それで下らないプチ炎上がいっぱい起きているくせに、全力で主張や反抗を展開する場面は驚くほど少ない。
この例が適切かはわかりませんが、例えばフライデー事件の「謝罪会見」時のビートたけしなんて、下らない質問した記者がいればその場で殺しちゃうんじゃないかと思うほどの殺気を漂わせて臨んでました(今の姿からは想像できない)。
筋の通らないキャンセル対象にされるのって(決して比喩とも言い切れないレベルで)「殺されそうになっている」状態なわけです。時代に会う合わないとかの問題じゃなく、そういう状況になったら命がけで反抗するのが生物としての本能だと思うんですよね。
僕は腕っぷしの弱さには自信がありますし(笑)道徳というより「面倒くさいから」暴力はキライですが、話が通じない相手が包丁をかざして1mの場所とかにいたら、無意識にでもガードしようとするでしょうし、そこら中の物をデタラメに投げてでも抵抗すると思います(大抵の人はそうでしょう)。
なんでみんな、文春の記者を逆撮影して公開しちゃうぐらいの反抗(笑)もしないのでしょうね。
コンプラやポリコレに骨の髄まで侵されてるのって、キャンセル「する」側だけじゃなく「される」側も同様な気がしています。
「保守」って、侵略に対する当たり前の防衛本能が普通に機能する感覚という面もあると思います。
「文化を破壊しようとする人権真理教」は、キャンセル「される」側にも内在していて、むしろ破壊につながる最大級のダメージを与えてしまっているのかもしれません。